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あるイラン人カップルがいろいろな事件を経て『別離』するまでを描いた映画

なんという映画なのでしょう。

別離 une séparation

人生は選択の連続

どこで生きるか、誰と生きるか、どう生きるか、何を優先するか?・・・

最初は別れかける夫婦の裁判所風景から始まる。服装やたたずまいをみているとインテリ夫婦っぽい。話し方も落ち着いてるし理論的だ。

妻と裁判官の会話

「私は離婚したいんです」
「彼はあなたに暴力を?」
「わたとてもいい人なんです。暴力もドラッグもしません」
「ではどうして」
「海外で働くビザが取れてそれの期限がもうすぐなのに彼は行かせてくれないんです。このビザの有効までに国を出るためには離婚が必要なのです」

から始まる。。つまりこの夫婦は心の底ではまだお互いをもしかしたら愛し合ってるのかもしれないと視聴者に期待をもたせて、物語はすすんでいく。男尊女卑で有名なイランのはずなのに、何故か女性が離婚のイニシアチブをとってるシーンから始まるのもふいをつかれる。

彼が外国に行けない理由はひとつ。年老いたアルツハイマーの実父の介護をしなければならないため。子育ても協力的だし、外国に行きたいインテリ妻にだって本当はついていきたいのかもしれない。

そう、ひとつの嘘が噛み合わなければ全て噛み合わなくなるこの状況。映画だけではない日常生活だってよくある。あそこでああじゃなかったら、ここがこうなってたのに。とか、タラレバの世界。

次のシーンで彼女は外国を諦め、そこそこ裕福な実家に帰る。もちろんその前には介護のしてくれる女性の手配は忘れない。それからがこの映画の人生の理不尽さを1時間半見せてくれるというもの。。。

いやー。見終わってほんとうに誰も幸せにならないんだけど・・

それが辛かった。でもねでもね、きっときっと、こうやって人間は選択をし、時には間違った選択をし、時には周りを傷つけ、そして傷つくのはいつも弱い人や、若い人だったりし、彼らも傷つき、再生して生きていくのかもしれない。ただこの映画はどちらに転ぼうともハッピーエンドではない。

選択がありそれがまたタラレバの人生をつないでいくのだろう。

イラン映画なので政治的なことは極力消してある。どこの体制下でも、どの社会にでも起きる問題。親の介護、配偶者のキャリア、子供の将来へ少しでもいい条件を与えたいという願い。イランのアパートやイランの日常生活が映し出されてとても興味深い。

宗教上女性が男性の裸を見ることが許されてないからか、家政婦が粗相をしたおじいちゃんをそのままお風呂場に放っておくのを忍びず宗教相談センターに電話をかけ「こういうときは男性のズボンをおろしていいのでしょうか?」と相談してたりするのはちょっと笑った。

人には嘘をつけても、コーランには嘘をつけない人たち

ずっと出てくるこのアルツハイマーの何も喋らないおじいちゃんだけがすべてを知っている。でもおじいちゃんは全く喋りもしないし、自分ひとりでおトイレもいけない。ただ空気を吸って存在するという、、まるで彼らの「神」のような存在でもある。

暗くなるけど、短い映画なのに色々詰まってて、そしてまた私の大好きな強い女性が出てくる映画なので高得点です。妻はとりあえず、かっこいい。おしゃれだし、ほんとうは彼のことを愛してる。途中アルツハイマーのおじいちゃんの前で「だって彼は一度も私に家に戻ってきてって頼んだこともないのよ」と涙するシーンは心が痛む。家政婦側も、旦那が熱しやすいペルシャ人で、彼女自身の愚直なまでの信仰の深さが生活苦をさらひどいものにしたり・・・。また毎回の頭のベールが巻き方がおしゃれだたり、上質麻だったり、すごくいい色使いでおしゃれ。アパートの内装もまるでスペイン映画のアパートみたいだった。

しっとりとしたイラン映画、是非とも人生の選択にいろいろ悩む中年のあなたへ
(タグのイスラムはイランには当てはまりません)

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